日本史の本を読んでいると、現代人が当たり前のように食べている真っ白なご飯が、一際魅力的な文脈で書かれていることがある。
農林水産省が出した下記のページにも
”徴兵されたのは多くが農家の若者でした。彼らにとって、軍隊での最大の魅力は1日6合の白米を食べさせてもらえることでした“と書かれてある。
鰻や牛肉、鯛やマグロならまだしも、白米を売りに徴兵するだなんて、ふりかけが無いとご飯が食べられない人までいる現代の感覚で見れば、違う国の話のように見える。
農民であれば白いご飯をいくらでも食べられそうに考えてしまうが、江戸時代より農民は、米を口に入れるより先に、中央へ供出したり、換金したりしていた為、手元にあまり残らなかったそう。
その為、かさ増しで粟や稗などを混ぜたご飯や、麦飯を食べており、真っ白なご飯は特別な日に食べるのが当たり前で、贅沢の象徴だったらしい。
粟や稗の混ざったご飯はまずかった、真っ白なご飯は特別だったといった時代を知る人は年々少なくなっていく。
僕の祖母も子供のころ食べていたらしく、おいしくなかった。真っ白なご飯はなかなか食べれなかったと話していた。
粟や稗はどれくらいまずいのだろうか……
興味がわいた僕は、どうすれば食べることができるのか、あれこれ調べてみたが、現代の粟や稗はおいしいやつしか発売されていないようである。
がっかりしたが、祖母と一緒に食べて当時食べたものと比べてみると、当時の粟や稗のまずさがわかるかもしれない。
という事で楽天市場で粟と稗を注文し祖母の家に向かった。
今回注文したのはこちら

どのように炊けばよいかお店に伺うと、米2合につき20g入れるとちょうどいいと話していた為、その2割増しくらいの粟や稗をいれた。
しかし後から調べると当時の人はもっと米の割合が少なかったみたい。もっと下調べしておけばよかった(´・ω・`)
炊きあがった粟入りのご飯はこんな感じ

見た目は悪くないように見えるが、白いご飯に何か混じっているお椀を毎日見ている感覚を想像すると、真っ白なご飯に憧れる気持ちもわからんでもないよな気もする。
早速食べてみるとあまり普段と食べているご飯と変わらないように感じた。ちょっと粒粒があるように思うが、まあ別に毎日これでもいいと思う。
祖母に感想をうかがうと、思ってたよりはおいしいとのこと。ただ真っ白なご飯のほうがおいしいと話していた。あまり違わないような気がするけどなぁ
続いては稗

白っぽくてぱっと見わかりずらい。食べてみると粟ほど粒粒な感じがあるわけではないが、何かもっさりとしているなという感じだ。特別まずいようなものではない、毎日これでも別にいいかなって感じだ。ただこれも祖母いわく普段の白いご飯がいいらしい。
うーん…粟も稗もご飯に混ぜて食べてみた結果、特段盛り上がりに欠ける感想しか出なかった(´・ω・`)
当時と今の粟や稗とどう違うか聞いてみるも、「あんまり覚えてないけど今のやつより不味かった事は覚えている」「精米?の技術が違うような気がする」「子供の時しか食べてないからなぁ」との事
もうお腹いっぱいになったので、残った粟・稗いりご飯はおにぎりにして夕食時に食べた。
僕も自分なりに考えてみたが見た目の問題が大きいように感じた。まず植物として粟や稗の見た目がちょっと気持ち悪い。

STRONGlk7, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons

STRONGlk7, CC BY-SA 3.0 <https://creativecommons.org/licenses/by-sa/3.0>, via Wikimedia Commons
僕はナマコがそこそこ好きなのだが、周りの人からは「よくあんな気持ちの悪いもの食べれるね」と言わる。
別に硬いだけで独特な風味があるわけでもないのに、食べたくないと感じる人がたくさんいるという事は、人は口に入れる物の見た目は結構気にするという生き物だと言って差し支えないように思う。
見た目とか、米を特別に見る環境が粟や稗をまずく感じさせる理由な気がする。
下調べ不足なまま適当に結論図けたところで終わりにしたいと思う。
と思ったが翌日の昼食で24時間以上ぶりに白米のご飯を食べたところ、なにもまじっていない米粒の感触がいつもより少しおいしく感じた。
毎日のように食べていた為感覚がマヒしていただけで、何も混じってない真っ白なご飯はやはりおいしいものなのかもしれない…
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